なにやらはてブ界隈でミニマリストに関するエントリが熱そうで、僕の愛読しているキュレーションアプリのNewsStormにも流れてきていた。
上がっていたのは、主にこちらの記事。

鈴木こあら氏(id:suzukidesu23)の「自称ミニマリストは真剣に働いている人をあざ笑う人か?

鈴木こあら氏の記事を読んだあとに、こんなに書かれる記事ってどんなものよ?と思い、紹介されている記事「ミニマリストがビックカメラへ買い物に行った結果」を読んでみた。
読んだ結果、気持ちはわかるんだけど確かに気持ち悪い感じがしたので、そのもやもやちょっと整理したいと思い殴り書きしたくなった。

あ、初めに書いておきますが、僕はミニマリストに憧れを持つけど、全くミニマリストになれない人間です。

ビッグカメラに〜を読んでなにが気持ち悪かったか?

まず、そもそも「ミニマリストがビックカメラへ買い物に行った結果」を読んで感じた気持ち悪さというか、もやもやはどこにあるのかを考えてみた。

どこに気持ち悪さを感じたのだろうか?

鈴木こあら氏の憤りポイントは、下の2つが大きいかな?と勝手に解釈

  1. ミニマリストと称して、モノを持たなすぎることでの将来の日本経済を考える視点が抜け落ちてること
  2. そもそもモノを作る人の苦労(企画から製造、販売と購入後のアフターケアやゴミ処理まで含め)の視点がなく、ただ製品やコピーに書かれた購入ターゲットである忙しさを否定しているだけ

そして、これは僕もすごく共感できる。

普段、不満とかつい言ってしまうから反省しつつも、すごくわかる。特にエンジニアとしてモノをつくる側の視点が強いかもしれないけど、すごくわかる
でも、気持ち悪さはここではない気がした。じゃあ僕が感じた気持ち悪さはどこにあるんだ?と。

考えた結果出てきた、僕のもやもやスポットは以下かなと。

  • ミニマリストは持たないこと、断捨離を行うことが目的だったりすること(意識高い系はこれをかっこいいと思っていること)
  • ミニマリストという言葉を用いて商品を否定しているだけなとこ

大きくはこの2つで、特に1つ目の方が大きいかもと。

ミニマリストは断捨離することという認識の誤り

もしモノを大量に持っている人が、ミニマリストになりたいと思うのであれば、そのファーストステップで断捨離は必要なことだと思う。

けれども断捨離はあくまでミニマリストの扉を開くための鍵でしかないことに気づいていないのではないだろうか?

断捨離のwiki項目を見るとこう書いてある。

「人生や日常生活に不要なモノを断つ、また捨てることで、モノへの執着から解放され、身軽で快適な人生を手に入れようという考え方、生き方、処世術である」

大事な部分は「モノへの執着から解放され」の部分。

断捨離は、入ってくるものを断ち切って、持っているものを捨て、モノの執着から離れることともwikiには書いていたが、最後はあくまでモノの執着から離れるのである。

(この観点からみるなら、ミニマリストがビッグカメラへ〜ってのは、その思考回路がすでに違う気がするが笑)
次に、ミニマリストってなんだろうと考える。

ミニマリストはwikiにはなく、辞書にもない言葉っぽいので少し独自に考えてみる。

そもそもミニマリストが脚光を浴び出したのはスティーブジョブズの存在が大きいと勝手に思っている。

だから勝手にスティーブジョブズをミニマリストの代表例として、そこからミニマリストってなにかな?を考えてみる

スティーブジョブズはものへのこだわりが強く、部屋にはほとんどなにも置いていない時期があったと。

ジョブズ自体、日本の仏教にすごく感銘を受けていたという話があるので、断捨離的な思考回路が最初(か、どこか)にはあったと思う。

でもジョブズがミニマリストたる最たるところは、「モノゴトへのこだわりが強く、気に入ったものしか受け入れない」ところだと思う(少なくとも語り継がれる部分的には)

ならば、ミニマリストは断捨離を行い続けることではない。

なぜって?

だって、断捨離はモノを持たなくなるためにモノへの執着を捨てるのだから。

対してスティーブジョブズ風ミニマリストは、欲しいモノを吟味した結果、それを受け入れなくて結果モノが持てないのだから。

ここに大きな違いがあると思う

ミニマリストの本質とは?

ここまできたら、ミニマリストの本質への解は割と楽に求められそう

「ミニマリストとは、こだわりが強く、妥協点が高く、取捨選択が上手い人のこと」

だと思う。

なにか欲しいと思って手に取ったとき、

  1. 自分が欲しいものは、機能的にこれで満たさせるか?
  2. 機能的に満たされる場合、デザインや使い勝手が自分が思っている通り、またはそれに近しいか?
  3. 欲しい機能以上に、機能が搭載してあることで、自分の欲しい機能が邪魔されないか?

おそらくこんな感じの思考を延々と繰り返し、自分の妥協点を越えるか越えないかの判定が下されるのだと思う。
そしてこの思考回路というかこだわりと取捨選択がうまくできない人がミニマリストを目指すと、ずっと断捨離を行い続けることになり、実はミニマリストから遠ざかって行ってしまうものなのではないかと思う。

結論

僕のもやもやは、ミニマリストと称して、欲しくもないものに対して断捨離を行おうとしてしまい、その結果として製品を否定。はたまたコピーを通り越して、そこに書いてあるターゲットそのものの人生を否定してしまっているところがひっかかっていたのかと。
忙しく、いろんな意味で貧しい人生は避けたいけれども、必要にせまられて忙しい人生があっても楽しいと思いますがね。
そしてものへのこだわりポイントより、興味と持ちたい欲求ポイントを先に越えてしまう僕はおそらくミニマリストにはなれないな…と改めて憧れを感じてしまう今なのでした。

投稿者 iyken

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